留学・ワーホリ・渡航経験者の体験レポート

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会社員J.Mさんの体験 – ワーホリ

「この1年間は現実の世界ではないから、勘違いして戻って来ないようにね。」

これが別れ際にウイリアムに言われた言葉だった。この言葉通り、確かに戻りたくなるほど楽しい充実した一年だった。ワーキングホリデーは、いくつかの条件を除けば、やりたい事は何でも出来る1年間の自由時間である。ただし、自由というのはいいことであるのだが、全てを自分で決め自分の責任において行動しなければならないという事でもある。この人は何でワーホリに来たのだろう、日本にいても同じなのでは、と不思議に思うような人もいた。だから、目的を持ち、何に重点を置くかによって、人それぞれのワーホリになるように思う。

海外に行こうと思ったきっかけは、職場に日本語がぺらぺらのアメリカ人が2人おり、彼女らと同じような事が私にも出来ないものかと思ったからだ。20歳を過ぎてから英語に興味を持ち、遅ればせながら英検3級に合格したことや、特に仕事に面白味を感じていなかったことも背景にあった。また英語圏に行き生活すれば、英会話学校に通うよりも効果的に英語が話せるようになるのでは、と甘い考えもあった。ただし考えるまでもなく、英検3級レベルの私が留学出来るはずはない。また1年間の学費や生活費を用意する事は大変な事である。そんな時、学校にも通え働く事も出来るワーホリの存在を知り、これなら私でも行く事が出来るのではないかと思った。大自然を満喫する。そしてずうずうしい考えながら、どうせ英語が話せるようになるのならオーストラリア英語より、訛りの少ないカナダ英語の方がいいと思いカナダ行きを決めた。英語と旅行が私の目的だった。

まず準備だが、私の場合カナダ行きを決めたのが夏頃、翌年2月に会社を辞め、3月に最終準備をし、4月に出発するという予定を立てた。早速カナダ大使館からワーホリビザ申請用紙を取り寄せ申請、それと同時にその時通っていた英会話学校にホームステイ先と学校、オープンエアチケットの手配を依頼した。あとは出発までに持参する100万円を貯めることにした。(結局100万円は使わなかった。内訳:持参したのは4000カナダドルのドラベラーズチェック。その後、銀行口座を開いてから母に30万円分を送金してもらった。) ひとつ難関だったのは、申し込み用紙等に保証人として保護者のサインをもらう事だった。自分自身で色々な事を決めたり段取りしたりする事は出来るが、やはり家族に理解してもらわなければならないからだ。母はあっさり許してくれたが、父は「何で自分から大変な思いをしに行くのだ」と言い、手を震わせながらサインをしてくれたのが忘れられない。 申し込みに掛かった費用は、2ヶ月間のホームステイ(3食付)と学校、往復のエアチケット、一年間の海外旅行保険、空港ピックアップなど諸手続費用の合計で約67万円だった。私が知り合った人達の中には、現地の学校から直接資料を取り寄せ選んだり、ホームステイ先やエアチケットまで全て自分で手配した人もいたし、ビザだけ取って到着日のホテルさえ何も決めないまま来た人もいた。何がいいのかは人それぞれだが、全て自分で手配すれば費用は安く済む事になると思う。

1年間を通じて滞在したのはバンクーバーで、3ヶ所に住んだ。初めの2ヶ月は学校で紹介してもらったホームステイ先だった。出発前にホストファミリーの情報は得ていたが、初めて会った印象はやさしそうな老夫婦という感じで、実際に一緒に生活をしてもその通りの人達だった。イギリス系でお父さんは学校の理事、お母さんは主婦の2人暮らし。3人の子供達は結婚し家を出ているという環境だった。長女が近くに住んでおり、その長女の家でも同じ学校の日本人留学生を受け入れていたので、よく合同で食事をしたりイベントをしたりと行き来をした。こんな事もありこの留学生とはすぐ友達となり、帰国した今でも良い友達である。ここでの思い出といえば、お風呂はお湯の量に限りがあるので 10 分で入るように言われたこと(最短 7 分で入れるようになった!)。用意してくれるランチ(サンドイッチ、リンゴ1個、クッキー、ジュース)に驚いたこと。いつでも冷蔵庫を開けて好きなものを食べていいといわれたこと。バンクーバー到着の翌日からサマータイムという事を知らず、いきなり朝寝坊したことなど。生活を通じて日本との文化の違いを色々感じたことは今でも忘れられない。カナダでは留学生をボランティアで受け入れるというよりは、ホームステイ代を自分たちの生活費の一部として考えている人も多いと聞いた事がある。ホームステイ先次第では、勉強やカナダでの生活を楽しむどころではなくなるので、良い家庭を紹介してもらうことは大切な事だ。運もあるが、申し込み順に良い家庭から紹介されるようなので、早目に申し込んだり、学生の長期休暇シーズンを避けるといいようだ。私の場合はとても恵まれていたと思う。

次に住んだのは日本人の家で、1部屋を間借りした。この時はホームステイではなく部屋を借りただけなので自炊である。この家に決めたのは2ヶ月間のホームステイが終わりに近づいた頃だ。ホストと一緒に新聞で良さそうな物件を探し見学した中で、ホストが私にとって一番良いと判断したところがその家だったというわけだ。私にとっては日本人の家なので少し抵抗があったが、奥さんからはアルバイトを紹介してもらったし、またカナディアンとシェアした人達からは色々なトラブルも聞いたので、短期的に住む分には悪い選択でなかったかもしれない。3番目に住んだのは友達がホームステイしていた家で、帰国に際し私に紹介してくれたのである。家具付のベースメント(1LDK)で玄関も別なので、自由に暮らす事も出来るし、上に行けば家族(ジャネットとウイリアム)と一緒にテレビを見たり食事も出来るという最高の環境だった。家賃は、食事の回数によるが400ドルから450ドル位ととてもリーズナブル。家賃などは交渉次第で決まる部分もある。ジャネットは機械編みの先生でお店も持っていたので、暇があると編物を習うなどしてお店で過ごした。生徒さんやお客さんの話を聞くのもとても楽しかった。ここでは部屋を借りるだけでなく、全ての面で充実した生活を送ることが出来た。住む所は、新聞、日本人向け情報誌、友達の情報、またシェア募集の張り紙が色々なところにあるので、その中から場所と値段で気に入ったところを見つける事になる。私はダウンタウンではなくノースバンクーバーが好きだったので、3 ヶ所ともノースバンクーバーになってしまったが、友達は色々な所に住んでいたので遊びに行くのも楽しかった。

学校は日本人ばかりでがっかりしたというのが本音だ。授業中も日本人同士だと暗黙の了解のようなものがあり、話せなくてもこんなことが言いたいのだろうなと通じてしまうのがよくない。私はフルタイムで2ヶ月間の契約をしていたが、最後の方はコミュニティセンターのような所に移り、移民の人達に混じり授業を受けた。カナダは移民が多く、皆な生活が掛かっているので真剣なのがいい。また英語だけでなく色々な講座があるので、そういったものを受講するのも楽しいと思う。初めの学校では銀行口座の開き方を教えてもらったり、今でも付き合える友達が出来たりしたので、日本人向けサポートがあることやネットワーク作りが出来たという点では良かったといえる。とにかくアンテナを張って色々な情報を得る事である。例えば友達の情報で行くと格安で英語を教えてくれるところもあるし、教会ではボランティアで英語を教えてくれるクラスもあったりする。高いお金を出さなくても勉強はいくらでも出来るという事だ。カナダにいても日本にいても結局は自分のやる気次第、カナダにいれば自然に英語が話せるようになるわけではないのだ。大学で勉強するために英語が必要なのならともかく、英会話を勉強するのはとても難しいと思う。自分がどれだけ人に伝えたいこと、内容があるかにかかっているように思う。そういう意味では、ワーホリの目的の1つである語学習得は失敗に終わった。

もう1つのワーホリの目的である旅行。これは達成したと思う。まず4月には学校のオプショナルツアーでシアトルに行った。シアトルまでは車で4 時間ぐらいだが、バンクーバーと違い時間の流れや人の歩くスピードが速く、やはりアメリカだと思った。 次は5月、日本のゴールデンウィーク頃に学校の友達と10日間ぐらいかけてビクトリア、バンフ、ジャスパーに行った。この時は日本から持参したガイドブックをもとに行動していたので失敗する事も多かった。これも仕方のない事なのかもしれないが、ガイドブックの情報はオンシーズンのものがほとんどだからだ。一番の大失敗は、バスに乗り遅れて駅で6時間待ちした事だ。この時以来、情報はあくまで目安として考え、必ず自分たちで確認する習慣がついた。5月といえどもレイク ルイーズは凍っていたり(氷上で写真を撮った)、半そでで丁度良かったり、ダウンコートが必要になったりとかなりの温度差があることに驚きながら、カナダの大自然を満喫した旅だった。8月には1ヶ月かけて友達とカナダを横断した。まず一番利用すると考えたバスの周遊券(1ヶ月用)を購入した。そして地理や目的に合わせ飛行機、長距離バス、鉄道を利用し、トロント、モントリオール、ケベック、オタワ、プリンスエドワード島、ハリファックス、ジャスパーをまわった。1ヶ月という長丁場の旅でお金を節約する為、YWCAやユースホテルに宿泊した。当日の予約では宿泊できないと困るので、1つ前の都市に着くと次の目的地のホテルを電話で予約した。私の場合、ユースホテルでは色々な人と同部屋になりリラックス出来ないので、YWCAの方を好んで泊まった。1ヶ月で掛かった費用は20万円ぐらい。かなりの貧乏旅行だったが、広大なカナダで見たもの経験したこと全てが貴重な思い出である。この旅は、やはりワーホリでなければ出来ないと思う。次は秋のビクトリア。友達を訪ねての一人旅だったが、紅葉がきれいで5月とは全く違う雰囲気だった。最後の旅は帰国直前の3月、2週間メキシコに行った。といってもクラブメッドに参加したので、リゾート村に滞在したわけだ。トロント、モントリオール、バンクーバー、ニューヨークから来た人達に混じり、アジア人は私1人だけだった。最初の1週間をトロントから来た高校生と、次の1週間をトロントから来た学校の先生と同部屋になり、この1年間の中で一番英語漬けの日々を送った。

また新たなカルチャーショックがあった。モントリオールから来た人達はほとんど英語が話せないのだ。このため、モントリオールから来た人達でかたまってしまい、他の人達と交流しようとしないのだ。とても意外な光景だった。そして私もここに来てあらためて英語がわからないもどかしさを感じた。クイズ大会の時、答えを聞いて問題が何だったのか分かる事が何度もあったからだ。答えはわかっていても問題が分からないから参加出来ないなんて悔しかった。旅はワーホリの醍醐味のように感じる。自分で全てを決め行動し、毎日初めてを体験するからだ。お金はなくても是非色々な所に積極的に行く事をおすすめする。仕事は4つ経験した。1つ目はガスタウンの付近にある日本人オーナーのおみやげ屋。ここは学校の友達の紹介で働き始めた。次はバンクーバーのシンボルであるカナダプレイスのなかのアクセサリーショップと日本人向情報誌の製本。この2つは2番目に住んだ日本人の奥さんから紹介してもらったところだ。どちらも短期であったが紹介してもらえるということはありがたい事だ。人とのつながりはとても大切である。4つ目はノースバンクーバーにあるショッピングモールの中のマフィン屋。このマフィン屋はモールの中にあった求人募集を見て応募した。経営はインド系の夫婦だった。働いたのは早朝の開店からお昼ぐらいまでだったので、朝は辛いが昼間の時間は自由に使えるので、ジャネットから編物を習うにはとても都合が良かった。働く場所は職種を選ばなければ色々ある。ダウンタウンにはジャパニーズレストランやおみやげ屋が数多くあるし、スキー好きの人であれば冬はウイスラーで働くのもいいかもしれない。果樹園や牧場でファームステイという手もある。また日本での経験を生かしてボランティアをする人もいた。ただし、オフィスで働く事は英語が相当出来ないと難しい。カナディアンでさえ失業率が高いのだから仕方がないが、ジャパニーズレストランの中にはカナディアンが多く来る店もあるので、色々探してみると英語が生かせる仕事もある。見つける方法は、新聞、モールの中の求人募集や日本人向情報紙、あとはやはり知り合いからの情報である。

その他、1年間カナダにいると色々な休日やイベントを体験出来た。イースター、ハローウィン、サンクスギビング、クリスマス、花火大会、ダックレース、バーベキュー、誕生日会などだ。4月1日に出発し4月1 日に帰国するまでの丸1年、本当に自由時間を満喫した。ただし、これらのことはワーホリだから出来る事であることを忘れてはならないと思う。ワーホリが楽し過ぎ、現実の世界(日本)に戻れなくなる人もいるとウイリアムは言っていた。遊びに来るのはいいが 勘違いして戻って来ないようにという言葉はここから来ている。 帰国直後は英検2級を受験しなんとか合格。少しはカナダでがんばった甲斐があったかもしれない。そして勉強しなおすべく夜間に大学へ行き昼間は未経験の輸出貿易事務の仕事についた。カナダに行ったお陰で自分をブラッシュアップでき、日本でも新しい事に挑戦している。自分のことを知っている人がいないぶん見栄や外聞なく色々なことに挑戦しやすいし、帰る国があるのだから自分のワーホリを楽しめるよう目的に向かって積極的に行動するといいと思う。